あくつまさはる
阿久津全治

編集 履歴

登場作品 実況パワフルサッカー
登場シナリオ 海皇山高校編 , 紋星高校編
所属
ポジション
利き手/足
誕生日 不明

概要

つい昨季にもチームを全国優勝させた海皇山高校の監督。60代後半。
監督としてのキャリアも40年越えの名将中の名将。

※以下本編シナリオの大きなネタバレを含みます※

海皇山高校

老眼で書類に目を通すのにも苦戦するなど寄る年波には勝てず、2軍監督を務めていた張子和虎に後を託すことになる。

紋星高校

一線から身を引いたものの余暇を持て余し、日課の散歩の最中たまたま目にした紋星高校サッカー部に引き寄せられてしまう。

戦術と哲学

海皇山の選手の思い描く理想のサッカーがそれぞれ違うように、選手の自主性を重んじて選手にできる事は選手にやらせるのが基本的な方針。

海皇山時代のフォーメーションは4-4-2を使用していた事がシナリオ中で語られている。
パワサカのゲームにおいて少なくとも4種類あるが、張子監督によるコンバートとも関係ないポジション適性(特にCMF)がついている選手もいるので一応全て運用可能。
下級生の内に複数のポジションを試しつつ経験を積ませようとしていた可能性もあるが、
通常の全国トーナメントにリーグ戦もある試合数の多さを強豪校らしからぬ1、2軍を合わせて40人前後、つまり1学年で約13人という部員の少なさで乗り切るために疲労や調子を考慮しつつ中盤を組み換えていた可能性も考えられる。

合宿は選手が逃げ出す程の厳しさという事もあり、確かな育成力に裏打ちされた柔軟な編成がサッカー哲学なのかもしれない。
海皇山高校が長らく高校サッカー界の頂点にいた事、魔王状態の時はどこまで本人の資質が出ているかは謎だが能力の暴走とは関係なく相手選手を必要以上に煽った木芽等を罰して規律を強要した事もあって1990~2010年頃の長期に渡ってマンチェスターユナイテッドの黄金期を作ったアレックス・ファーガソンを彷彿とさせる。

考察

長い監督歴と日本サッカー黎明期

海皇山高校実装当時に作中の年齢(60代後半)の場合、パワサカに登場した実在人物を例に出すと
ポジションごとに攻守の役割が完全に分かれていた時代にトータルフットボールの概念を生み出したヨハン・クライフ、日本人初のプロサッカー選手である奥寺康彦(久保嘉晴の憧れの選手)くらいの世代。
引退撤回で最初期のJリーグに参戦し日本サッカーの発展に大きく貢献したジーコ(大空翼のサンパウロFC在籍期間に同じブラジルリーグのCRフラメンゴに所属)よりやや上。

プロ契約者がいたことで強豪イタリアが出場辞退し決勝トーナメントに進出した東京オリンピック(1964年)や、
サッカーの王様ペレがプロの世界で活躍する中、プロ契約者のいないブラジルを下し決勝トーナメントへ進み開催国メキシコに勝って銅メダル(東邦学園に登場する吉良元監督が主人公達に見せたメダルはこれ)を手にしたメキシコオリンピック(1968年)を子供の頃に見ているかもしれない。

監督としてののキャリア序盤は少なくともJリーグ設立(1991年)やキャプテン翼の連載開始(1981年)より前。
メキシコオリンピックの結果を受けて実質プロと変わらない体制をいち早く導入した読売サッカークラブ(後の東京ヴェルディ)もあったが、相変わらず日本国内はアマチュアリーグが中心の井の中の蛙だった。
そういう要素からすればある意味主人公の一人だったのかもしれない。

だがやはり20代で監督になるのは早すぎるような気もする。
他校の監督と違い選手としての実績が語られないのは少し気がかりな点ではあるが、
そもそも時代が時代で現役時代を知る人間がいないだけかもしれない。
一応年齢的には上でなんと70歳の現役高校生プレーヤーの渋谷玄がいるが、
高校生の頃には既に働きに出ていたようなのでサッカーに関わっていたとは考えにくい。

張子監督との哲学の対立

魔王に憑依されていたのが発覚した際に本人の口から出た「ワシの築き上げた海皇山をよくも」という台詞。
前述の哲学が外れていないとするなら選手を壊さないシステム作りだったのかもしれない。

海皇山の新フォーメーションでは中盤の底を一人でカバーする郷田の守備負担がさらに上がり、
本人の強すぎる責任感を考えれば潰れることは確実。
岩淵のCF起用に拘った点についてはラフプレーで相手を壊す事のみならず、
高校サッカー界の絶対王者という立場から相手DF陣の激しい削りに対抗するためというのは、
まだユースが存在しなかった時代からサッカーに携わる若人の未来を担っていた事もあるかもしれない。

トラッキング等の最新の理論にはついていけないと言いつつも、
張子監督の提唱する全選手が躍動するサッカー≒選手の負担を上げる戦術に哲学の相違を感じ、最後まで分かり合えなかったのだろう。
紋星高校魔王ルートで張子監督と相対した時に戦術を褒め称えたのは完全にありえない行動だった事がわかる。

魔王の憑依

その欲望につけ込まれたという事だが、主人公の怪我に相当する物が老いというのは言うまでもない。

紋星高校のセクション4では対戦相手を必要以上に傷つける事を嫌うような素振りがある。
感情の昂った阿久津監督が表に出てくるのを避けたのかもしれない。

新規作成日: 2020/10/17 14:40
最終更新日: 2021/01/23 06:18
最終更新者: 匿名ユーザ
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